マルコによる福音書15・33-34

昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

 

罪悪問題の哲学的説明は未だ示されません。あるいはこれは永久の未決問題として残るのであるかもしれません。しかしながらその実験的解釈は示されました。それは罪を知らない神の独子(ひとりご)の十字架上の受難であります。ここに人類の罪は打ち消されました。ここに贖罪(あがない)の犠牲(いけにえ)は献げられました。聖なる者の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」の声と共に、罪の赦免(ゆるし)の道は人類のために開かれました。「このために(今よりのち)イエス・キリストにある者は罪にされることはない」(ロマ8・1)、これが罪悪問題の実際的解釈であります。そうしてこの解釈を得たのちは、私たちは哲学的説明のないことを意に介さないようになるのであります。あたかも疾病(やまい)を癒されて後に、病人は薬剤(くすり)の生理的作用の説明を問わなくなるようなものであります。(内村鑑三、8/11)

 

どうして、なぜ、「お見捨てになったのですか」と叫んだのでしょうか。イエス様も死ぬのが怖かったのでしょうか?神様を信頼していなかったのでしょうか?

インターネットで調べると、これは詩編22・1の言葉であり、「神は決して見捨てない」という1-31篇の最初の出だし。ということです。