2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

ヨブ記19・25-27

わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう。このわたしが仰ぎ見る、ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入…

フィリピの信徒への手紙2・14-16

何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走…

テトスへの手紙2・11-13

実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であ…

アモス書5・22-24

たとえ、焼き尽くす献げ物をわたしにささげても、穀物の献げ物をささげても、わたしは受け入れず、肥えた動物の献げ物も顧みない。お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない。正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽…

年間第17主日ミサ

第一朗読:創世記18・22-32 第二朗読:コロサイ2・12-14 福音:ルカ11・1-13 大分教区召命の日。「神父になるのはいいですよ!」と説教するのは難しい。昨日、鹿児島県の幼稚園の研修会にいって、話を聞いてきた。37歳の若い母親の話。二人の子供がいて、…

ヨハネの手紙1・5-18

わたしたちは知っています。すべて神から生まれた者は罪を犯しません。神からお生まれになった方が、その人を守ってくださり、悪い者は手を触れることができません。 信者は神につながれてその生命(いのち)をことごとく彼に求めるのに対して、世はこぞって…

ローマの信徒への手紙8・19-21

被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神…

詩篇65・10-12

あなたは地に臨んで水を与え、豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え、畝を潤し、土をならし、豊かな雨を注いで柔らかにし、芽生えたものを祝福してくださるからです。あなたは豊作の年を冠として地…

箴言24・30-32

怠け者の畑の傍らを、意志の弱い者のぶどう畑の傍らを、通ってみた。見よ、いらくさが一面に茂り、あざみが覆い尽くし、石垣は崩れていた。わたしはそれに心を向け、観察した。それを見て、諭しを得た。 イエスは労働者である。私は彼によって労働の貴い理由…

ヘブライ人への手紙10・10-14

この御心に基づいて、ただイエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。・・・・・しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで…

年間第16主日のミサ内容

第1朗読:創世記18・1-10a 第2朗読:使徒パウロのコロサイの教会への手紙1・24-28 ルカによる福音書:ルカ10・38-42 ある子供が友達の家に遊びに行きました。テーブルの上にあったスルメイカが美味しそうだと思いましたが、その家の主は海外で買ってき…

イザヤ書2-4

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ちなおして鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。 戦争が止むのに二途がある。進んで敵意をはらすことであり、退いて自己(みずから)を正すこ…

ガラテヤの信徒への手紙6・14-15

しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創…

ヨハネによる福音書17・3

永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。 神と共にあることは楽しいことである、そこに平和があり、活動があり、正義があり、仁愛があり、思想があり、感情がある。円満と完全とは神に…

詩篇71-20

あなたは多くの災いと苦しみを、わたしに思い知らせられましたが、再び命を得させてくださるでしょう。地の深い淵から、再び引き上げてくださるでしょう。 人生には悲惨事が多い。しかしこれを償(つぐな)ってなおあまりある恩恵事がある。復活がこれである…

マルコによる福音書15・29-31

そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他…

テサロニケの信徒への手紙1,5・16-18

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 神のすでにお下しになった恩恵(めぐみ)について感謝せよ、そうすれば神はさらに新しい恩恵をお下し…

ガラテヤの信徒への手紙4-7

ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。 どのような理由によるかは神学上の問題としておいて、神の子キリストが私たちのために十字架上に贖罪(あがない)の血を流されたということを聞き、…

創世記1・3-5

神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 暗黒を持って始まり、光明をもって終わり、絶望をもって始まり、希望をもって…

ヨハネによる福音書3・18-19

御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々は行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。 もし神の刑罰というものがあるとすれば、それは事…

ペトロの手紙2、1・10-11

だから兄弟たち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい。これらの事を実践すれば、決して罪に陥りません。こうして、わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入る事ができる様になります。 …

ヘブライ人への手紙1・1-3

ヘブライ人への手紙1・1-3 神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されま…

フィリピの信徒への手紙1-29

フィリピの信徒への手紙1-29 つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。 艱難はこれを受ける時には決して悦ばしいものではない。けれどもその忍耐の実を結んでから、高い信…

ミカ書7・18-20

ミカ書7・18-20 あなたのような神がほかにあろうか?咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に、いつまでも怒りを保たれることはない。神は慈しみを喜ばれるゆえに、主は再び我らを憐れみ、我らの咎を抑え、すべての罪を海の深みに投げ…

ヤコブの手紙1-12

ヤコブの手紙1-12 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠を頂くからです。 栄光は恥辱の後にくる。人に嘲(あざ)けられ、踏みつけられ、面前で卑しめられ、悪人として偽善者として彼らの蔑視するところと…

詩編137・1-5

バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。わたしたちを捕囚にした民が、歌をうたえと言うから、わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。どうして…

7月7日に行われた岐部祭

岐部神父様は大友宗麟の死んだ年に生まれ、キリシタン弾圧で400年続いた大友家(大友宗麟で有名)の滅亡を目にし、ローマを目指して旅に出た。エルサレムにも寄って行った。その頃、ザビエルの右腕がローマに来た頃なので、それを目にしたか、耳に聞いたかした…

ペトロの手紙1-37

夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。 婦人を遇する道は、観劇の快を供するのではない、錦綉(きんしゅう)玉帯を給する…

コロサイの信徒への手紙1-24

今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。 キリストがその死をもって全世界をお救いになったということは、決して形容的な言(ことば)ではない…

コリントの信徒への手紙2、12-10

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。 私は常に私の力の足りないことを懼(おそ)れ、神は常に私の力の足りすぎることを慮(おも…