2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

善良な修道者の修行について(1.19.6)

大祝日に当たっては、信仰を熱烈にする修行をさらにあらわにし、いっそう熱心に諸聖人の代祷を願うべきである。 祝日から祝日までの間には、私たちはよい決心をして、さながら今度の祝日にはこの世を去って永遠の祝日にはいろうとする者のようにするがよい。…

善良な修道者の修行について(1.19.5)

共同でしない修行は、人に見せぬがよい。自分一人のことはコッソリ行なうほうが安全である。 けれども共同ですることを怠って、自分が特別に選んだことに熱中しないよう注意せよ。ただ義務、あるいは命じられたことを申し分なく忠実に果たしたのち、なお暇が…

善良な修道者の修行について(1.19.4)

たといたえずわが身を反省することができずとも、せめて時々、少なくとも毎日1回、朝あるいは夕方にそうするがよい。 すなわち朝には決心を立て、夕方にはその日したことを、言葉、行ない、思いについて糾明せよ。おそらくあなたはこれらをもって神や隣人に…

善良な修道者の修行について(1.19.3)

あるいは信心のために、あるいは兄弟の利益のために、時として平生の務めをしないことがあっても、それはあとで容易に取り返しがつく。 しかし、いやだからしなかったり、ややもすれば怠けてしなかったりするなら、それはかなり重い科であって、やがてその害…

善良な修道者の修行について(1.19.2)

私たちの進歩は私たちの決心次第である。ゆえによく進歩しようと思う者は多く努めなければならぬ。 決心の堅い人でもしばしば罪におちいるとすれば、たびたび決心を改めず、心の定まらない者はどうだろう? 私たちはいろいろなことで決心を失うが、少しでも…

善良な修道者の修行について(1.19.1)

善良な修道者の生涯は、その内なる心も人に見える外の様子と同様に、あらゆる善徳に富んでいなければならぬ。 いや、外に現われる以上に、内はもっとすぐれていなければならぬ。それは私たちを見ておいでになる方が神で、私たちはどこにいても深くこれをあが…

キリストに倣いて(1.18.6 聖父たちの模範)

ああ、私たちの天職に対する生温さと怠け加減よ!私たちは最初の熱心を早くも失ってしまい、怠りと冷淡とのため、生きてゆくことさえものうく思っているではないか? あなたはしばしば信仰厚い人々の模範をかようにたくさん見たのであるから、どうかあなたの…

キリストに倣いて(1.18.5 聖父たちの模範)

ああ、修道会創立の始めには、すべての修道者たちの熱心はどんなに大きかったことだろう!祈りの時のかれらの熱心はどんなに大きかったことだろう!善徳に対するかれらの競争心はどんなに大きかったことだろう!規律はどんなに厳格に守られたことだろう!創…

聖父たちの模範(1.18.4)

かれらはこの世とはうとかったけれど、神とはきわめて近しく親しい友であった。 かれらは自分を全く無であると思い、またこの世からは軽蔑された。しかし神のおん目には、とうとい愛される者とされたのである。 かれらは真の謙遜を守り、素直な服従の生活を…