2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

キリストに倣いて(3.52.4 人は自分を、慰めを受けるに足らず罰に値する者を思うべきこと)

ああ主よ、罪を謙遜に後悔することは、主の嘉される犠牲でありまして、み前にその香は、乳香をたくにもまさってかんばしいのであります。 これはまた、主が聖ねるみ足に注がれることを欲みたもう、馥郁たる香油でもあります。なんとなれば「主は悔み萎れた心…

キリストに倣いて(3.52.3 人は自分を、慰めを受けるに足らず罰に値する者と思うべきこと)

私のように罪深く、恥じ多い者が、何を言うべきでしょう?私は次ぎの一言のほか何も言うことができません。「私は罪を犯しました、ああ主よ、私は罪を犯しました、私を哀れみ、私をおゆるしください、『どうぞ私が、死のかげにおおわれた、暗い地に行く前に…

キリストに倣いて(3.52.2 人は自分を、慰めを受けるに足らず罰に値する者と思うべきこと)

ああ主よ、主は、私がどういうことをしたので、私に天上のおん慰めをお与えくださるのでしょうか? 記憶するところでは、私はかつてなんの善をもしたことがありません。かえっていつも悪にかたむき、これを改めることを怠っておりました。 これは事実であっ…

キリストに倣いて(3.52.1 人は自分を、慰めを受けるに足らず罰に値する者と思うべきこと)

主よ、私は主のおん慰めやいかなる霊的ご訪問をもいただく値打のない者であります。したがって主が私を貧しさとさびしさとの裡に捨てておおきになるのも当然のおん処置に過ぎません。 なんとなれば、たとい私が海のように涙を流すことができたとしても、まだ…

キリストに倣いて(3.51.2 高いことに力足りぬときは低いことに努力すべきこと)

そういうときあなたにとってためになるのは、卑い外部の仕事に逃れ、善業をして心を慰め、わたしが天から来て訪れるのを固い信頼を持って待ち望み、ふたたびわたしの訪問を受けてすべての苦しみから救われるまで、あなたの逐謫流浪と心のさびしさとを、忍耐…

キリストに倣いて(3.51.1 高いことに力足りぬときは低いことに努力すべきこと)

わたしの子よ、あなたはいつも変わらずもっとも熱烈に、善徳を望み続けることはできないし、また最高度の観想をしつづけるわけにも行かない、かえって原始の堕落のためにときどき身を貶して低いことに従い、この朽ちるべき人生の重荷を、しぶしぶながらも、…

キリストに倣いて(3.50.8 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

人の感覚は、判断をくだすときしばしば誤ります。それでこの世を愛する者は、目に見えるものを愛して、身を誤るのであります。 他人に偉いと思われたからとて、その人はそのためにどれほど人物があがるでしょう。 虚言者は虚言者を、倨傲者は倨傲者を、盲人…

キリストに倣いて(3.50.7 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん下にお委ねすべきか)

ああ主よ、私に知るべきことを知らせ、愛すべきことを愛させ、主のもっとも嘉されることを賛美させ、み前に価値あることを尊重んじさせ、主の卑しいとごらんになることを軽んじさせてください。 外観だけで判断したり、無分別な人の聞き伝えによって断定をく…

キリストに倣いて(3.50.6 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

愛するおん父よ、ごらん下さい、私はおん手のうちにあります、私は主の懲治の苔の下にひれふします。 なにとぞ私の背を、首をお打ちください、そうすれば私のねじけた心をため直してみ意に従わせることができるでしょう。 主がつねに好んでなさるように、私…

キリストに倣いて(3.50.5 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

私は主に感謝いたします、というのは、私の罪を容赦せずに、手きびしい鞭撻を加えて私を懲らし、内部にも外部にも苦痛を与え、患難をおくだしになったことに対してであります。 天下のあらゆるもののうち、主を除いて私を慰め得るものはありません、ああ主な…

キリストに倣いて(3.50.4 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

なんとなれば、主を愛するためにこの世で苦しみ悩むのは、たといいくたびであろうとも、まただれによってであろうとも、みな主のお許可があってそうなるのであって、これは主の友に対する一つのお恩恵なのであります。 主のご計画とみ摂理とがなく、原因なく…

キリストに倣いて(3.50.3 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

ああつねに賛美すべき正義のおん父よ、主のしもべの試されるべき時は来ました。 ああ愛すべきおん父よ、主のしもべがこの時に当たって、主のために多少の苦しみを忍ぶのは当然のことであります。 ああつねに崇むべきおん父よ、主が永遠の昔から見ぬいておら…

キリストに倣いて(3.50.2 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

私は平安の喜びにあこがれ、主におん慰めの光明をもって養われる主の子どもの平安をねがい求めております。 もし主が平安を与え、聖い喜びを注いで下さるならば、主のしもべの霊魂は楽しい歌に満ち、熱心に主を賛美するでしょう。 けれどももし主が、いつも…

キリストに倣いて(3.50.1 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

ああ主なる神よ、聖なるおん父よ、主がいまも永遠に賛美されますように!なんとなれば、起こったことは主のみ旨によるものであって、主のなさる所は善であるからであります。 主のしもべに、自分、または他の何者をも喜びとせず、ただ主だけを喜びとさせてく…

キリストに倣いて(3.49.7 永遠の生命に対するあこがれ、および戦う者に約束された報賞がいかに大きいかということ)

それゆえいまは謙遜して、すべての人の権下に屈服し、だれがそれを言い、あるいは命じたか、ということに頓着するな。 ただあなたが大いに注意すべきは、あなたの目上にせよ、目下にせよ、あるいは同輩にせよ、あなたが何かを望み、または暗示した場合には、…

キリストに倣いて(3.49.6 永遠の生命に対するあこがれ、および戦う者に約束された報賞がいかに大きいかということ)

しかしわたしの子よ、こういう苦労の結果と、それが速かに終わることと、そのきわめて大きい報賞とを考えて見るがよい。そうすればあなたは、それを苦にせず、かえって忍苦のうちにもはなはだ強い慰めを感ずるだろう。 なんとなれば、いまあなたが望んで自分…

キリストに倣いて(3.49.5 永遠の生命に対するあこがれ、および戦う者に約束された報賞がいかに大きいかということ)

他人は大いに人々の賞賛を博するが、あなたは黙殺されるということもあろう。 他人はあれやこれやといろいろ委ねられるが、あなたは役立たずと思われることもあろう。 本性は時としてこういうことを恨めしく思うが、それを黙ってジッとこらえるならば実に偉…

キリストに倣いて(3.49.4 永遠の生命に対するあこがれ、および戦う者に約束された報賞がいかに大きいかということ)

あなたはまだ地上で試練を受け、多くのことで仕込まれる必要がある。 慰めはときどきあなたに与えられるだろう。けれどもまったく満足するほどにはあたえられまい。 だから元気を出して、本性の厭うことを忍ぶにも、するにも、雄々しくあれ。 あなたは「新し…

キリストに倣いて(3.49.3 永遠の生命に対するあこがれ、および戦う者に約束された報賞がいかに大きいかということ)

あなたにとって楽しいこと、都合のよいことを求めず、わたしにとって喜ぶべきこと、光栄となることを求めよ。なんとなれば、あなたの判断が正しいなら、あなたは自分の望み、および自分が望むすべての物よりも、むしろわたしの定めを重んじ、これに従うはず…

キリストに倣いて(3.49.2 永遠の生命に対するあこがれ、および戦う者に約束された報賞がいかに大きいかということ)

わたしの子よ、火はしばしば燃えるが、あがる焔は、かならず煙をも伴なわずにはいない。 それと同様に、ある人々のあこがれの火は、天上の物事に向かって燃え上がるが、それにもかかわらず肉欲の誘惑を免れることはないのである。 ゆえにかれらが熱心に神に…

キリストに倣いて(4.49.1 永遠の生命に対するあこがれ、および戦う者に約束された報賞がいかに大きいかということ)

わたしの子よ、あなたは、永遠の幸福に対するあこがれを、上から自分に注がれたと感じ、この肉体という住居を脱け出て、「回転の影のない」(ヤコブ書1.17) わたしの光輝を仰ぎ見たいと思うならば、あなたの影を開き、熱望のかぎりを尽くして、この聖なる霊感…

キリストに倣いて(3.48.6 永遠の日およびこの世の苦悩について)

それですから、真理である王は、「あなたの宝のあるところに、心もまたある。」(マタイ6.21)と明らかに仰せになりました。 で、私は、もし天を愛しているなら、好んで天上のことを考えるでしょう。 もしこの世を愛しているなら、この世で栄えることを喜び、…