キリストに倣いて(3.52.4 人は自分を、慰めを受けるに足らず罰に値する者を思うべきこと)

 ああ主よ、罪を謙遜に後悔することは、主の嘉される犠牲でありまして、み前にその香は、乳香をたくにもまさってかんばしいのであります。

 これはまた、主が聖ねるみ足に注がれることを欲みたもう、馥郁たる香油でもあります。なんとなれば「主は悔み萎れた心をさげすみたまわぬ」(詩篇50.19)からであります。

 怒れる敵の面前から逃れるところはここにあります。また他所で染み着いたすべての不潔なものを、洗い清めて良くするのもここであります。