2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧
人は何かの欲望がむやみに激しくなると、たちまち心の落ちつきがなくなるものである。 だから高慢な人と貪欲な人とは決して心の安まる時がないが、心の貧しい人、謙遜な人はいつも非常に心が安らかである。 まだ全く欲望の死んでいない人は、誘惑にかかりや…
人は消え去る。しかし「主の真理は永遠に消えることがない。」(詩編116.2) 神はえこひいきなく、私たちにさまざまな方法でお語りになる。 聖書を読む時、よく私たちの妨げとなるのは、ただアッサリと読みすごすべき所を、しいてむずかしく解釈しようとしたり…
聖書中に求めるのは真理であって、美しい言葉ではない。 聖書はすべてそれを書いた人の精神を汲んで読むべきである。 聖書からは言い現わしかたの巧みさよりも、むしろためになることを求めなければならぬ。 高尚深遠な書物と同様、信心を深めるやさしい書物…
ことを軽率に行なわず、また自分の意見を頑固に押し通そうともしないのは、非常に賢いことである。 人の話をことごとくは信ぜず、また自分の聞いたこと信じたことを、すぐに他人にもらさないのも、やはり賢いことである。 分別のある正しい人に相談するがよ…
すべての言葉、すべての思いつきを信用してはならぬ。どんなことでも、神のみ前に出て、慎重に、落ちついて、よく考えて見るがよい。 悲しいことには、人は他人のこととなると、しばしば善よりも悪をはるかに信じやすく、かつ語りやすい。それほど私たちは弱…
ああ、世間の栄えの過ぎ去るのは、なんと速いことだろう!もしかれらが自分の生涯をそのすぐれた学識に相応するものとしたならば、かれらの博学多読もむだにはならなかったろうに。 世間には、神に仕えることをほとんど思わず、むなしい知識のために滅びに至…
ああ、人々がもし知識上のことを問題にするほど熱心に、悪を去り善を行なうのに努めたならば、世間にはこれほど多くの罪悪や醜聞も起こらず、また修道院内にもこれほど多くの不規律はなかったろうに。 まことに、審判の日に私たちが尋ねられるのは、なにを読…
すべてこの世の完全には、必ず多少不完全な所があり、すべて私たちの悟りにはいくぶんあいまいな所があるのを免れない。 だからけんそんに自分のどういう者であるかを認めることは、学問を深く究めるよりも神に至るいっそうたしかな道である。 しかし学問や…
人は精神を統一して、心をよけいな物からはなせばはなすほど、かくべつ骨を折らずともますます多く高尚なことがらを悟るだろう。それは、天から知恵の光明を受けるからである。 心が清く、純でしっかりしている人は、いろいろな仕事にも決して気を散らさない…
私たちには物の種類や区別を論ずる学者の説など、なんの関係があろうか!永遠のみ言葉を聴く人は、さまざまの説に惑わされずにすむのである。 万物は一つのみ言葉によって成り、すべてこの唯一の創造主を語っている。これこそ万物の本源であって、いまも私た…
消え去る形象や言語によらず、ありのままの姿で真理(神)ご自身から直接教えを受ける人は幸福である。 私たちの意見や感覚はしばしばあてにならないし、私たちの見る所はまたきわめて狭い。 だから奥深くてわからないことがらをいろいろ根ほり葉ほり考えてみ…
最も高尚で有益な学問は、本当に自分というものを知ってこれを軽んずることである。 自分をつまらない者と思い、他人を自分よりよい人偉い人と尊敬するのは、大きい知恵であり完全である。 あなたはたとい他人が公けに悪事を行ない、または重大な罪を犯すの…
多く知り深く学ぶほどあなたの生活がいよいよ聖にならないならば、それだけあなたは厳しく審判されるだろう。 それゆえどんなに技芸や学問があっても高ぶってはならぬ。むしろあなたに与えられた知識のために恐れ慎しむべきである。 もし自分は知識が豊富で…
むやみに物事を知りたいと望む心を捨てよ。なんとなれば、それは心の乱れと迷いとを引き起こすに過ぎないからである。 いろいろなことを知っていいる者は、とかく他人に博学と思われ賢い人と言われたがる。 しかし、知ったところで霊魂に利益の少ないことや…
人は生まれつき、知りたいと望む。けれども多く知ったところで、神を畏れる心がなければ、なんの役にたとう。 まことに神に仕える謙遜な百姓は、自分という者をお留守にして、天体の運行を観測する高慢な学者より、はるかにましであろう。 本当に自分を知る…
しばしば次ぎの賢人の言葉を思い出すがよい、「目は見るに飽くことなく、耳は聞くに満つることがない」(伝道書1.8)と。だから目に見える物を愛する念を去り、見えない物に心を向けるがよい。なんとなれば、五官の欲に従う者はその良心を汚し神の恩恵を失うか…
それゆえ滅ぶべき財宝を求めて、これを頼みにするのはむなしいことである。名誉にあこがれて高い地位にのぼるのはむなしいことである。 肉欲にふけって、いつかきびしい罰を受けなければならぬ悪事を求めるのはむなしいことである。 長生きすることばかり望…
あなたがもし謙遜でなくて聖三位のおぼしめしにかなわぬならば、聖三位について深い議論をすることができても、なんの役に立とう。 まことに人を聖人義人にするのは高尚な言葉ではない。私たちを神に愛される者とするのは、ただ徳の高い生涯だけである。 私…
キリストのみ教えは諸聖人のあらゆる教えにまさっているから、キリストのご精神をもっている者はだれでも、その(み教えの)なかに「隠れたマンナ」(黙示録2.17)を見出すに相違ない。ところが往々多くの人が、たびたび聖福音を聞きながらほとんど心を動か…
主は言っておいでになる、「わたしに従う人は暗やみを歩まない」(ヨハネ8.12)と。これはキリストのお口から出たみ言葉であって、私たちがもし本当に光明を得、心のあらゆる闇から逃れたいと思うならば、そのご生涯とおん行ないとに忠実に倣わなければならぬ…
理知や自然の研究はすべて信仰に従うべきもので、それに先だったり反対したりすべきものではない。 なんとなれば、この世では信仰と愛とが最もすぐれており、このいとも聖なる、いとも尊き秘跡において人知れず働くからである。 永遠、無量、能力無限の神は…
だからすなおな疑わぬ信仰をもって進み、へりくだってうやうやしくこの秘跡に近づくがよい。そしてあなたの悟り得ぬことは、すべて全能なる神に安心してお任せせよ。 神は決してあざむきたもうことがない。あざむかれるのは、自分というものをあまりに信じす…
信仰やこの秘跡について、ひどい誘惑に会う者がある。けれどもこれはその人のせいではなくて、むしろ仇敵のせいである。 心配せず、あなたの思想と争ったり、悪魔の吹きこむ疑惑に答えたりすることなく、神のみ言葉を信じ、その諸聖人、預言者たちを信ずるが…
論を闘わす困難な道を捨てて、神のみ掟の平坦で間違いのない道を行く素直な人はしあわせである。 高遠なことをせんさくしようとしているうちに、信心を失ってしまった人も多い。 あなたに要求されているのは、信仰と誠実な生活とである。理解の深さでもなけ…