2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

聖父たちの模範(1.18.3)

かれらは時間をことごとく有効に用いた。かれらは神と心の交わりをする時間を短かく思い、黙想の大きい楽しみには、からだの栄養を取る必要すら忘れたほどであった。 かれらは富も位も名誉も友だちも親戚もことごとく捨てて、この世の物は何一つほしいと思わ…

聖父たちの模範(1.18.2)

ああ、使徒たちや殉教者たち、証聖者たちや童貞たち、その他キリストのみ足跡をたどろうとした人々は、どんなに多くのつらい苦しみを耐え忍んだことだろう! それはかれらが永遠の生命を得ようとして、この世の生命を厭うたからである。 ああ、聖父たちは荒…

聖父たちの模範(1.18.1)

真の完徳と敬虔とがかがやいている聖父たちの生きた模範を仰ぎ見よ、そうすれば私たちのすることなど、どんなにつまらなくて無にひとしいものであるかがわかるだろう。ああ、私たちの生涯をかれらのにくらべたらどうだろう。 キリストの友であった聖人がたは…

修道生活のこと(1.17.3)

あなたがここに来たのは仕えるためで、支配するためではない、あなたが召されたのは苦しみ働くためで、なまけてむだ口をたたくためではないと知れ。 だからここで人々は炉のなかの金のように試練されるのである。 神のため心から謙遜になろうとしないならば…

修道生活のこと(1.17.2)

修道服をまとい髪をそることはあまり役に立たない。人をほんとうの修道者にするのは、行ないを改めたり、全く情欲をおさえたりすることである。 神と救霊以外のものを求める人は、悩みと悲しみとのほか何も得ないだろう。 自分をつまらぬ者として、すべての…

キリストに倣いて(1.17.1 修道生活のこと)

あなたはもし他人と平和に仲よくくらしたいならば、多くのことにおいて自分のわがままを捨てることを学ばなければならぬ。 修道生活や他の団体の中にいて、不平も言わず、死ぬまで心変わりもせずに辛抱するのはなかなかなみたいていなことではない。 だから…

キリストに倣いて(1.16.4 他人の欠点を耐え忍ぶこと)

さて神は私たちが「互いの荷を負う」(ガラテア書6.2)ことを習うようお定めになった。それはだれも欠点のない人はなく、重荷のない人はなく、不足な所のない人はなく、知恵の完全に備わった人はないからである。 だから私たちは互に辛抱し合い、慰め合い、…

キリストに倣いて(1.16.3 他人の欠点を耐え忍ぶこと)

私たちは他人がきびしくしかられることは望むけれど、自分がしかられることは好まない。 私たちは他人がはなはだ自由であると、不愉快に思うが、自分の欲求が通されないと気にくわない。 私たちは他人が掟でしばられることはよしとするくせに、自分は少しも…

キリストに倣いて(1.16.2 他人の欠点を耐え忍ぶこと)

もし人に一二度忠告してみて、相手がそれを聞き入れないならば、争わずにすべてを神にお任せするがよい。それは主のみむねが行なわれ、主があらゆるしもべにあがめられたもうためである。神は悪を善に変えることをよくご承知である。 他人のどんな不足や弱点…

キリストに倣いて(1.16.1 他人の欠点を耐え忍ぶこと)

自分や他人の身において改めることのできぬ所は、神が別の摂理をしてくださるまで辛抱忍耐しなければならぬ。 そして多分これは自分の試練となり、忍耐のためにいっそう役立つのだろうと思うがよい。忍耐がなければ、私たちの功績はほとんどなんの価値もない…

キリストに倣いて(1.15.3 愛から出る行ないについて)

ほんとうの完全な愛を持っている人は、何事にも自分のためを思わず、ただ万事に神の栄光のあらわれることを望む。 かれは自分だけで楽しもうとは思わないから、だれをも妬まない。またかれは自分の身に喜びを求めず、すべての善よりも神によって幸福になりた…

キリストに倣いて(1.15.2 愛から出る行ないについて)

多く愛する者は、多くなすのである。 ことをよく行なう者は、多くなすのである。 自分のためよりも公けのために尽くす者は、よく行なうのである。 愛のように見えて、その実肉欲に過ぎないものがしばしばある。それは生まれつきの性向や、自分のことを思う心…

キリストに倣いて(1.15.1 愛から出る行ないについて)

この世のどんな物事のためにも、またどんな人を愛するためにも、悪いことは決してしてならぬ。 しかし困っている人を助けるためには、時としてある善業をやめてもよい。いや、むしろいっそうすぐれた善業と変えることもできるのである。 なんとなればそれに…

キリストに倣いて(1.14.3 邪推をさけること)

久しい習慣は改めにくい。まただれでも自分の見る所以外には出たがらない。だからもしもあなたが万物の従うべきイエズス・キリストのおん力よりも、自分の知恵や努力に頼るならば、正しい悟りを得ることはむずかしく、あるいはそれに長い年月を要するだろう…

キリストに倣いて(1.14.2 邪推をさけること)

ところが往々私たちの心のなかに隠れているものがあったり、外からはいってくるものがあったりして、私たちを引きつける。 多くの人は何かを行なうに当たり、ひそかに自分のためばかりを計っていて、しかも自分では知らずにいる。 そういう人は、物事が思い…

キリストに倣いて(1.14.1 邪推をさけること)

自分をかえりみて、他人の行ないを是非せぬように注意せよ。他人を是非するのは労して効なく、しばしば間違い、罪を犯しやすい。しかし自分の善悪を考え調べるのは、大いに効果がある。 私たちはしばしば自分のすききらいの感情によって、物事の判断をする。…

キリストに倣いて(1.13.8 誘惑に抵抗すること)

誘惑や災難に会うとき、人の善徳の進歩がどの程度であるかが明らかになる。そしてそれによって、その功績はいっそう大となり、その徳はますますあらわれるのである。 少しも心配のない時、信仰厚く熱心であっても、別に感心することはない。しかし不幸な時よ…

キリストに倣いて(1.13.7 誘惑に抵抗すること)

ゆえに私たちは誘惑に会っても落胆してはならない。かえってあらゆる患難の時に神が私たちを助けてくださるようますます熱心に祈るがよい。主は聖パウロの言葉の通り「試練とともに勝つべき方法をも与えてくださる」(コリント前書10.13)に相違ないからであ…

キリストに倣いて(1.13..6 誘惑に抵抗すること)

ある人は発心の始めに強い誘惑に会い、ある人は終りにこれに会う。 またある人は一生涯これに苦しめられ、ある人はきわめて軽い誘惑しか受けない。 これは神がみ摂理の知恵と公平とによって、人々の立場や功績をよく考え、その選みたもうた者の救霊のため、…