2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

キリストに倣いて(4.12.1 周到な注意をもってキリストを拝領する準備をなすべきこと)

お愛しする者のおこえ わたしは純潔を愛する者であって、またすべての聖さを与える者である。わたしは純潔な心を求める。わたしの安息の場所はそこにある。 わたしのために「すでに整えられた大きい高間を用意せよ。わたしはわたしの弟子たちとともにあなた…

キリストに倣いて(4.11.8 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

ああ全能の神、ねがわくは主の恩恵をもって私たちを助けて下さるように。そうすれば私たち司祭の聖職を受けた者は、まったく純潔に、清い良心をもって、ふさわしく敬虔に、主に仕えることができるでしょう。 私たちは大いに清く生きるべきものでありますが、…

キリストに倣いて(4.11.7 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

かれの目は純真、貞潔でなければなりません、いつもキリストのおんからだを仰ぎ見るからであります。かれの手は清浄で天に向かってあげられなければなりません、つねに天地の創造主に触れるからであります。 律法の中に司祭に対して特に言ってあります。「あ…

キリストに倣いて(4.11.6 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

ああ、司祭の職務はなんと偉大で名誉あるものでしょう!というのは、聖なる言葉をもって、み稜威尊い主を聖別し、そのくちびるをもってこれを祝し、その手をもってこれを捧持し、その口をもってこれを拝領し、またこれを他の人々に授かる権がかれに与えられ…

キリストに倣いて(4.11.5 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

また主に感謝いたします、ああ人間の創造主、贖い主なる主よ、主はその愛を全世界に示すために盛大な晩餐を準備し、そこで私たちの飲食に、象徴の子羊ではなく、主のいとも聖い杯をもって酔わせて下さるのあります。楽園の喜びはみなその中にあり、聖なる諸…

キリストに倣いて(4.11.4 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

なんとなれば、私はこの世で私に特別必要な物が二つあることを知っているからで、これがなかったとしたら、このみじめな人生はたえ切れないものになるでしょう。 私がこの肉体の牢獄に閉じこめられている間は、自分に二つの物、すなわち食物と光とが必要であ…

キリストに倣いて(4.11.3 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

これらの不思議を心に思い浮かべますと、どんな霊的慰めも、私はいやでたまらなくなります、なんとなれば私は、私の主をその栄光のうちに、明からさまにあおぎ見ぬ間は、この世で何を見聞きしても、すべてどうでもよいことばかりだからであります。 ああ神よ…

キリストに倣いて(4.11.2 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

主を主ご自身の神としての光輝のうちに仰ぎ見ることは、私の目のたえ得るところではありませんし、主のみ稜威の赫々たる栄光の前には、全世界も存在することができないでしょう。 それで、主が秘跡のうちに姿をかくしておいでになるのは、私の弱さを哀れみた…

キリストに倣いて(4.11.1 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

弟子の声 ああいとも甘美なる主イエズスよ、主の晩餐において、主とともに食する熱心な人の味わう楽しさはいかに大きいでしょう!そこでかれの前に出される食物は、そのお愛しする唯一のお方、その心の望みのかぎりを尽くして、なおその上にも熱く望むべき、…

キリストに倣いて(4.10.7 聖体拝領はかるがるしく廃止してはならぬこと)

ところが祝日が迫った時とか、習慣でやむを得ぬ時などのほか、準備しない人は、しばしば準備ができていない。 ミサを行ない、あるいは聖体を拝領する時いつも自分を燔祭として主にささげる人は幸いである。 ミサを行なうには、あまりゆっくりでも、あまり急…

キリストに倣いて(4.10.6 聖体拝領はかるがるしく廃止してはならぬこと)

またやむを得ぬ妨げのある時でも、聖体を拝領したいという善意と信心深い志しとはつねに有すべきである。そうすればこの秘跡の効果を失うことはあるまい。 なんとなれば敬虔な人はだれでも、毎日いつなんどきなりと、霊的にキリストを拝領してよく、これは少…

キリストに倣いて(4.10.5 聖体拝領はかるがるしく廃止してはならぬこと)

ああ、かように軽々しく聖体拝領をのばす人の、神を愛する心はいかにうすく、敬虔の念はいかに弱いことだろう! よい生活を送り、自分の良心を清く保ち、もし許しを得て人目に立たずすることができるならば、毎日でも聖体を拝領する望みがあり、かつその準備…

キリストに倣いて(4.10.4 聖体拝領はかるがるしく廃止してはならぬこと)

長い間告白を躊躇したり、聖体拝領をのばしたりしたとて、なんの益があろう? なるべく速く心を清め、サッサと毒を吐き出し、急いでこの薬を用いよ、そうすれば長い間のばしておくよりも気持がよいだろう。 もしあなたが今日これこれの理由で、しないならば…

キリストに倣いて(4.10.3 聖体拝領はかるがるしく廃止してはならぬこと)

また人はしばしば敬虔の不足をあまり気にかけすぎ、告白するのにとかく心配しすぎて、そのために妨げられることもある。 そういうときには、賢人たちの勧めに従い、心配や恐れの念を払い去れ、なんとなればそれは神の恩恵を妨げ熱心を失わせるからである。 …

キリストに倣いて(4.10.2 聖体拝領はかるがるしく廃止してはならぬこと)

というのは、聖体拝領の準備をしているとき、サタンにいっそう悪い考えを吹きこまれる人もあるからである。 この悪魔は、ヨブ記にも記してある通り、神の子たちの中に来て、そのいつもながらの悪意をもってこれを悩まし、あるいは過度に怖じけさせてこれを困…

キリストに倣いて(4.10.1 聖体拝領はかるがるしく廃止してはならぬこと)

お愛しする者のおこえ あなたはしばしば、恩恵と神のおん哀れみとの泉、いっさいの仁慈と純潔との源に馳せ寄らなければならぬ、そうすればあなたは、邪欲、悪習をいやされ、悪魔のあらゆる誘惑や手管に対し、もっと強い、用心深いものとなることができよう。…

キリストに倣いて(4.9.6 自分と自分のすべての物とを神にささげ、みなのために祈るべきこと)

私はまた、何かのことで私に仇し、私を悲しませ、あるいは私を恥ずかしめ、あるいは私に何か損害や不快を与えた人々のため、特別私の祈りとこのなだめの犠牲とをおささげいたします。 またそれはいつか私が、言葉や行ないで知ってか知らずにか、悲しませ、怒…

キリストに倣いて(4.9.5 自分と自分のすべての物とを神にささげ、みなのために祈るべきこと)

私はまた、主の熱心なしもべたちの敬虔な望みや、私の両親、友だち、兄弟、姉妹および私の愛するすべての人々、また主をお愛しするために私や他の人々に恩を施した人々、さらにまた自分と自分に縁あるすべての人々---それにはまだ肉体を具えて生存してい…

キリストに倣いて(4.9.4 自分と自分のすべての物とを神にささげ、みなのために祈るべきこと)

私の有する善はきわめて少なく不完全であるとはいえ、私はこれをことごとく主におささげいたします。これは主にそれをいっそうよいもの、聖なるもの、み旨に適うもの、嘉納されるもの、ますます完全なものとしていただき、さらに怠惰でなんの役にも立たぬみ…

キリストに倣いて(4.9.3 自分と自分のすべての物とを神にささげ、みなのために祈るべきこと)

私は自分の罪のために何をすることができましょうか?ただそれを謙遜に告白し、嘆き悲しみ、たえずそのために主のおん哀れみをおねがいする外ないではありませんか? ああ私の神よ、私はみ前に立っておねがいいたします、お慈悲をもって私のねがいを聞き入れ…

キリストに倣いて(4.9.2 自分と自分のすべての物とを神にささげ、みなのために祈るべきこと)

主よ、私は始めて罪を犯すようになった時からいまにいたるまで、主と聖なる天使がたのみ前で、私がおかしたいっさいの罪とがを、主のなだめの祭だん上に置いて、主におささげします。これは主の愛の火で、それらをことごとく焼き尽くし、私の罪のあらゆる汚…

キリストに倣いて(4.9.1 自分と自分のすべての物とを神にささげ、みなのために祈るべきこと)

弟子のこえ 主よ、天と地とにあるものは、すべて主のものであります。 私は自ら進んで自分を供物として主にささげ、永久に主のものであることを望みます。 主よ、私はいつまでも主のしもべとして主に仕え、絶えず主を賛美する犠牲になるために、今日誠心をも…

キリストに倣いて(4.8.2 十字架上のキリストの犠牲および自分を捨てること)

あなたはわたしのほかのものをことごとく所有しても、物足りぬであろう。 それと同時に、あなたが何を与えようと、あなた自身をささげぬうちは、わたしを喜ばすことはできないのである。 あなた自身をわたしにささげ、自己の全部を神に与えよ、そうすればあ…

キリストに倣いて(4.8.1 十字架のキリストの犠牲および自分を捨てること)

お愛しする者のおこえ わたしはあなたの罪のために、甘んじて自分をわたしの父なる神にささげ、わたしの両手を十字架上にのばし、まるはだかとなって、わたしにあるものは余すところなく、神の憤怒をなだめるための犠牲とした。 だからあなたも、ちょうどそ…

キリストに倣いて(4.7.4 良心の糾明と遷善の決心について)

なんとなれば罪滅しのためには、ミサ聖祭および聖体拝領のとき、キリストのおんからだをささげるとともに、自分を神にまったくささげるよりもとうとい奉献、大きい償いはほかにないからである。 もし人が赦免と恩恵とを得ようとしてわたしのもとに来るたびに…