キリストに倣いて(4.10.6 聖体拝領はかるがるしく廃止してはならぬこと)

 またやむを得ぬ妨げのある時でも、聖体を拝領したいという善意と信心深い志しとはつねに有すべきである。そうすればこの秘跡の効果を失うことはあるまい。

 なんとなれば敬虔な人はだれでも、毎日いつなんどきなりと、霊的にキリストを拝領してよく、これは少しも禁じられていないばかりか、その霊魂に多大の利益をもたらすからである。

 とは言え、一定の日一定の時に、愛情をこめてうやうやしく、秘跡により自分の贖い主のおんからだを拝領し、自分の慰めを求めるよりも、むしろ神を賛美崇敬することを心がけるべきである。

 それは、キリストのご托身が受難の奥義を信心深く思い起こし、かれを愛する情に燃え立つたびに、神秘的に聖体を拝領し、目に見えぬ糧で養われるからである。