キリストに倣いて(4.10.5 聖体拝領はかるがるしく廃止してはならぬこと)

 ああ、かように軽々しく聖体拝領をのばす人の、神を愛する心はいかにうすく、敬虔の念はいかに弱いことだろう!

 よい生活を送り、自分の良心を清く保ち、もし許しを得て人目に立たずすることができるならば、毎日でも聖体を拝領する望みがあり、かつその準備のできているような人は、いかに幸福であって神のみ意に適うことだろう!

 もし時として人が、謙遜から、あるいは何かやむを得ぬ妨げのために、これをさしひかえるならば、その尊敬の念は称賛してよい。

 けれども怠りの心が忍びこんだのであれば、かれは奮発して、自分にできるだけのことをしなければならぬ。そうすれば神はかれの善意に対して、かれの希望をとげさしてくださるだろう。神は善意というものに主として重きをおおきになるからである。