キリストに倣いて(4.3.3 しばしば聖体を拝領するのは有益であること)

 「それは人の心が幼いときから悪にかたむいていて、」(創世記8.21) 主のとうとい霊薬の助けがなければ、人はすぐ悪におちいるからであります。

 ですから聖体拝領は、人を引き留めて悪におちいらせず、これを強めて善を行わせるのであります。

 しかるに私はいま聖体拝領をしたり聖祭を行なったりしながらも、こんなにしばしば怠りがちになり生ぬるくなるのですから、もしこの妙薬を用いず、かように偉大な助力を求めないとしたらどうでしょう?

 ゆえに私は、とても毎日は聖祭を行なう資格がなく、その覚悟が十分でないにしても、やはり適当なときにこの聖なる秘跡を受け、かように大なる恩恵を分け与えていただくよう努めるつもりであります。

 なんとなれば、忠実な霊魂にとって、主を離れてこの死すべき肉体のうちに留まっている間の主要な慰めは、しばしばその神を偲び、そのお愛しするおかたを、敬虔な心で拝領することだからであります。