キリストに倣いて(4.1.13 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)

 もしこの至誠なる秘跡が、ただ一か所でしか施されず、世界中でただひとりの司祭しかこれを聖別しないとしたら、人々はいかに大きい熱望をもって、その場所、またそういう神の司祭のもとに行き、その神聖な奥義の祭りの行われるのを見ようとするでしょう?

 しかしいまは多くの司祭ができて、キリストが多くの場所でささげられたまい、このとうとい聖体拝領がますます世界中に普及するにつれて、神の人に対する恩恵を愛ともいよいよ豊かに現れようとしているのであります。

 ああ善良なるイエズス、永遠の牧者よ、主に感謝いたします。それは主がかたじけなくも私たち哀れな流浪者を、主のおんからだとおん血とで養ってくださり、またおん口ずから、「わたしのもとに来い、すべて労苦して重荷を負う者よ、わたしはあなたがたを休ませよう。」(マタイ11.28)というお言葉を仰せられて私たちをこの秘跡の拝領にお招きくださったからであります。