キリストに倣いて(4.1.9 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)

 多くの人々は、いろいろなところに駆けつけて、聖人方の遺物を見、その行なったことを聞いて驚嘆します。またその聖堂の壮大な建築を仰ぎ見、絹や黄金に包まれているその聖骨に接吻します。

 しかも見よ、私の神、聖中の聖、人類の創造主、諸天使のあるじである主は、私のすぐそば、この祭壇の上においでになるのであります。

 前述のような物を見るのは、しばしば好奇心や目新しさに駆られたためでありまして、過ちを改め善に進む効果は、それによってほとんど得られません。人々が自分の罪を本当に痛悔もせずあちらこちら走りまわるときなどは、わけてもそうであります。

 けれどもここの祭壇の秘跡中には、私の神であり人であるキリスト・イエズスが、そっくりそのままおいでになるのでありまして、主をふさわしく、信心をもって拝領するたびに、永遠の救いの効果も、豊かにいただかれるのであります。

 そしてこれに私たちが引きつけられるのは、軽率や、好奇心や、五官の欲によるのではなくて、固い信仰、熱烈な希望、心からの愛によるのであります。