キリストに倣いて(4.1.4 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)

 ごらん下さい、義人ノエは少数の人々と救われるために、百年も骨を折って箱船を造りました。それに私は、どうして一時間のうちに、世界の創造主をうやうやしくお迎えする準備ができましょうか?

 主の偉大なしもべで、かつ主の特別な友人であったモーセは、腐らない材で聖櫃を造り、これに純金を被せ、その中に律法の石板を蔵めるようにいたしました。それに腐り果てるべき被造物の私が、どうしてその律法の制定者、生命の賦与者を、それほどたやすくお迎えすることができましょうか?

 イスラエルの国王たちの中で、もっとも賢かったソロモンは、七年かかって、み名をたたえるために壮麗な聖殿を建立しました。

 そしてそれを奉献する祭りを八日の間行ない、平和の犠牲1千をささげ、ラッパの響き、歓呼の声のうちに、契約の櫃を設けの場所におごそかに安置したのであります。

 それに人間のうちもっとも哀れで不幸な者である私が、ほとんど半時間も熱心に過ごすことのできない私が、どうして主をわが家にお迎えすることができましょうか?

 ああ、ただの一度でも、せめて半時間なりと、ふさわしく過ごしてみたいものであります。