2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

キリストに倣いて(1.13.5 誘惑に抵抗すること)

すべて誘惑の端緒は、心がグラグラしていることと、神に対する信頼が足りないことである。 ちょうど舵のない舟が波のまにまに漂うように、心が定まらず、決心を守れぬ人も、いろいろな誘惑に苦しめられるのである。 火は鉄を試み、誘惑は義人を験す。 私たち…

キリストに倣いて(1.13.4 誘惑に抵抗すること)

ただうわべだけで誘惑をさけても、その根を抜き去らぬならば、ほとんど進歩しない。誘惑はたちまちもどってきて、いっそうひどくかれを悩ますだろう。 誘惑に対しては、無理に急いでやるよりも、神のお助けを仰いで、気長に辛抱してゆるゆるやる方が、たやす…

キリストに倣いて(1.13.3 誘惑に抵抗すること)

この世に生きている限り、人はまったく誘惑の心配がないというわけには行かない。なんとなれば私たちは邪欲によって生まれ、誘惑の原因をわが身にもっているからである。 一つの誘惑、一つの患難が去れば、また別な誘惑や患難があとからあとからやってきて、…

キリストに倣いて(1.13.2 誘惑に抵抗すること)

誘惑はうるさくつらいものではあるが、またしばしば人のためになる。それはこれによって謙遜にされ、清められ、教えられる所があるからである。 すべての聖人は多くの患難と誘惑とを通りぬけて、いっそう徳を積んだ。 そして誘惑に耐えることのできなかった…

キリストに倣いて(1.13.1 誘惑に抵抗すること)

この世に生きている限り、私たちは患難や誘惑を免れることはできない。 ゆえにヨブ記にも「この世にいる人の生涯は戦闘である。」(ヨブ記7.1)としるしてある。 だからどの人も誘惑に注意し、悪魔にあざむく隙を与えないよう用心して祈るがよい。 悪魔は決し…

キリストに倣いて(1.12.2 災いの利益について)

それゆえ、人は他人から慰めを求める必要がないほど、神に固くおすがりするがよい。 よい意の人は不幸に会ったり、誘惑を受けたり、悪い念に悩まされたりすると、自分にとって神がどんなに必要であるかを悟り、神によらずには一つの善もなし得ぬことを知るの…

キリストに倣いて(1.12.1 災いの利益について)

時々患難や災いに会うことは、私たちのためになる。それはこれによって人がこの世へ島流しの境遇にあること、この世の何者も頼りにしてはならぬことを思い出すからである。 また時として反対を受け、せっかくよいことをしたり、よいことを思い立ったりしても…

キリストに倣いて(1.11.6 安心を得ること、および徳に進む熱心について)

習慣を改めるのはむずかしい、しかし自分の意志をまげるのはさらにむずかしい。 けれども小さいやさしいことに勝利を得なかったら、どうしてあなたはもっと大きな困難に打ち勝つことができようか? まず最初にあなたの性向に逆らい、悪い習慣を除き去れ、そ…

キリストに倣いて(1.11.5 安心を得ること、および徳に進む熱心について)

毎年わずか一つずつ悪い癖をなくして行っても、私たちは間もなく完徳の人になるだろう。 ところが反対に私たちは誓願を立てていく年もたった今より、発心した始めの方がもっと善良で清かったような気持のすることもたびたびあるのである。 毎日私たちの熱心…

キリストに倣いて(1.11.4 安心を得ること、および徳に進む熱心について)

私たちがもし勇士のように、戦場に立つならば、主は必ず私たちを助けてくださるだろう。 なんとなれば私たちに勝ちを得させようとして戦う機会を与えてくださる神は、私たちがその恩恵を頼みとして戦うならば、いつでも助けを与えようと待ちかまえておいでに…

キリストに倣いて(1.11.3 安心を得ること、および徳に進む熱心について)

もしまったく我欲がなくなって、この世への執着がなくなったならば、その時こそ私たちも神のことを味わい、天上のことを観想して楽しむことができるだろう。 ところがこの最大、唯一の障害は、私たちが情欲や煩悩を解脱せず、聖人がたの完徳の道をあるこうと…

キリストに倣いて(1.11.2 安心を得ること、および徳に進む熱心について)

どうしてある聖人がたは、あれほど完徳に進み観想生活のあんな高い所まで達することができたのだろう? それはあらゆるこの世の欲望を取り除こうと努め、心の底から神にすがり、なんの妨げもなく自由に自分の救霊に尽くすことができたからである。 ところが…

キリストに倣いて(1.11.1 安心を得ること、および徳に進む熱心について)

私たちはもし他人の言葉や行ないや、自分に関係のないことに、余計な気を使おうとしないならば、大いに心が安らかになるだろう。 他人のことに関係し、求めて心を外に散らし、めったに、あるいはほとんど、気を落ちつけようとしない人は、どうして長く安らか…

キリストに倣いて(1.10.2 無益なおしゃべりを慎しむこと)

しかし悲しいことに、それは往々なんの役にも立たず、むだになってしまうのである。なんとなれば、こういう外からの慰めは、神がお与えになる内心の慰めを、少なからず妨げるからである。 だから私たちは時間をむだにせぬよう、用心して祈らねばならぬ。 話…

キリストに倣いて(1.10.1 無益なおしゃべりを慎しむこと)

できるだけ世間の騒ぎを避けるがよい。なんとなれば世間のことをするのはたとい潔白な意向をもってしても、大いに妨げとなるからである。 というのは、それによってむなしいことにあこがれるようになり、心を汚されやすいからである。 私は、黙っていればよ…

キリストに倣いて(1.9.3 従順と服従について)

他人に忠告を与えるよりも、他人から忠告を受ける方がはるかに安全だとはしばしば私の聞いた所である。 双方の意見がともによいような場合、向こうに従うべき道理と事情があるのに、頑として一歩も譲らないのは、高慢と強情の証拠である。 CHAPTER IX Pf obe…

キリストに倣いて(1.9.2 従順と服従について)

だれでも自分の思い通りにすることを好み、自分と同じ考えの者が好きになるのは事実である。 しかし神が私たちの中においでになるなら、時として平和を破らぬために、自分の意見を捨てるべきである。 だれがいっさいのことを知っているほどに賢い人があろう…

キリストに倣いて(1.9.1 従順と服従とについて)

従順を守って目上の指導の下にくらし、自分の思い通りにしないのは、はなはだよいことである。 目上になるよりは目下でいる方が、はるかに安全である。 愛する心からよりも、むしろ仕方がないのでいやいや従っている人が多い。それゆえかれらはなんでも苦痛…

キリストに倣いて(1.8.2 あまりに親しく交わらぬこと)

もとよりすべての人を愛さなければならぬが、と言ってすべての人と馴れ親しむのはよろしくない。 会わない間はその人の名声を聞いて慕わしく思っていたのに、会って見たらかえって失望したというようなこともよくある例である。 同様に他人の気に入ろうと近…

キリストに倣いて(1.8.1 あまりに親しく交わらぬこと)

「だれかれの差別なくあなたの心を打ち明けるな!」(集会書8.22) ただ賢明であって神を畏れる人に相談せよ。 年齢の若い人やよその人とあまり親しく交わるな。 金持に媚びへつらうな、また進んで偉い人の前に出ようとするな。 謙遜な人や無邪気な人、信心深…

キリストに倣いて(1.7.3 空頼みと高慢とを避けよ)

自分を他人よりまさっていると思うな。これは人の心の奥底までご承知の神に、他人より劣っている者とされないためである。 自分の善業を誇るな、なんとなれば神のお審判は人間の判断と違っているからである。 たとい自分によい所があっても、謙遜を失わなぬ…

キリストに倣いて(1.7.2 空頼みと高慢とを避けよ)

どんなに金があっても、有力な友だちがあっても、得意になってはならぬ。ただ神だけを誇りとせよ。主はあらゆるよきものを与え、その上になおご自身をさえ与えたいと望んでおいでになるのである。 あなたの体格がりっぱでも、肉体が美しくても、いばってはな…

キリストに倣いて(1.7.1 空頼みと高慢とを避けよ)

人間や被造物を頼みにしている人は愚かである。 イエズス・キリストを愛するゆえに、他人のために尽くし、この世で貧しい者と見られることを恥じてはならぬ。 自分を頼みとせず、ただ神のみを頼みとせよ。 全力を尽くして、あなたのできるだけのことをせよ、…

キリストに倣いて(1.6.2 ふしだらな欲望について)

しかしその人がもしその望みを通したならば、たちまち良心の苛責を受けるだろう。それは自分の求めている安らかさに、少しも役に立たぬ悪い欲情に従ったからである。 だからまことの安心を得るみちは、悪欲に従うことではない。これに抵抗することである。 …