キリストに倣いて(4.1.3 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)
この愛深いご寛恕と親切なお招きとは、そもそも何を意味するのでしょうか?
私は自分で頼みとすることのできる一つの善の心覚えもありませんのに、どうしてあえて近づくことができましょうか。
私はたびたび主の慈しみ深いお顔に背きましたのに、どうして主をわが家にお迎えすることができましょうか。
天使大天使は主を畏み敬い、聖人義人はみ前に恐れおののいております。それに主は「あなたがたはすべてわたしのもとに来い」と仰せになるのであります。
ああ主よ、主がそう仰せられたのでなければ、だれがそれをほんとうであると信ずることができましょうか?
また主がそうお命じになったのでなければ、だれがあえて近づこうとする気になりましょうか?