キリストに倣いて(3.45.3 すべての人を信じてはならぬこと、および言葉で過失を起こしやすいこと)

 「私の心は、キリストに基礎をおいているので、堅固なものです。」(聖女アガタ)と言った、あの聖なる霊魂は、ああ、なんと賢明であったことでしょう。

 私ももしそうであったとしたら、人を恐れる念にこれほどたやすく悩まされることもないでしょうし、矢のように鋭い言葉に動くこともないでしょう。

 だれが万事をあらかじめ見通しできるでしょうか、まただれが未来の不幸災難をことごとく予防できるでしょうか。

 前からわかっていることでさえ、しばしば私たちを害なうことがあるのであります。そうとすれば、まして思いもかけぬことは、どうしてひどく私たちを傷つけないことがありましょうか?

 それなのに私はあさましいみじめな者でありながら、なにゆえ自分のため、もっとよく備えをしておかなかったのでしょうか?またなにゆえかようにかるがるしく他人を信用したのでしょうか?

 けれども私たちは人間です、たとい多くの人に天使のように思われ、そう呼ばれても、弱い人間であるに過ぎません。

 ああ主よ、私はだれを---主の外だれを信用したらよいのでしょうか?あなたこそは真理であって、欺くことも、欺かれることも決してないお方なのであります。

 これに反して「人はみな虚言者」(詩篇115.11)であります。優柔不断で、心が変わりやすく、あやまちやすく、ことに言葉においてそうであります。ゆえに私たちは、ちょっと聞いてもっともらしく思われることでも、すぐに信ずるのはよろしくありません。