キリストに倣いて(3.55.3 本性の腐敗と神の恩恵の効力とのこと)

 ああ私の神よ、それゆえ、私は内部なる人によっては主の律法を喜び、すべての悪と罪とを避けなければならぬと説くおん戒命が善であり義であり聖であることを知っております。
 それにもかかわらず私は、肉によっては罪の律法に仕え、理性よりもむしろ肉欲に従うのであります。
 ですから「善を欲する心は私にありながらも、善を全うすることはできない」(ロマ書7.18)のであります。
 ゆえに私はたびたびよい決心をしますが、私の弱さを助ける恩恵がないために、ちょっとした抵抗に会うと、もう逡巡して倒れてしまうのであります。
 従ってまた、私は完徳への道を知り、自分のなすべきことを十分明らかにわきまえながらも、私の腐敗の重荷に圧倒されて、さらに完全な域を目ざして奮い起たないのであります。