キリストに倣いて(3.55.2 本性の腐敗と神の恩恵の効力とのこと)

 「幼いときからつねに悪にかたむいている」(創世記8.21) 本性に打ち勝つためには、主の恩恵、しかも大なる恩恵が必要であります。

 なんとなれば本性は、人祖アダムによって堕落し、その罪のために腐敗し、その罪の罰はあまねく全人類におよんだからであります。それで本性そのものは、主に創造られたときは善にしてかつ義しいものであったのですが、いまは腐敗した性質の、悪くて弱いものと考えられております。というのは、そのままにほうっておくと、その働きは、悪い方へ、低く卑しい方へとばかり向かうからであります。

 わずかばかり残っているその力も、灰にうずもれた火の粉のようなものに過ぎません。

 その力というのが、すなわち私たちの本性の理性でありまして、深い霧に包まれながらも、まだ善悪、真偽を識別ることができますが、そのよいと認めたところをなしとげることができませんし、また真理の曇りのない光も、元始の健全な愛情も持っていないのであります。