キリストに倣いて(4.3.1 しばしば聖体を拝領するのは有益であること)

 弟子の声

 ああ主よ、ごらん下さい、私は主の賜物によって順調に行き、かつ、「ああ神よ、主がそのお慈善をもって貧しい者のためにお備えになった」(詩編67.11)とうとい饗宴にあずかって喜ぶことができるように、主のみもとにまいります。

 ごらん下さい、私の望み得るもの、または望むべきものはなんでもみなことごとく主のうちにあります、主こそは私の救い、私の贖い、私の希望、私の力、私の誉れ、私の栄えでおいでになるのであります。

 ですから今日主のしもべの魂を喜ばせてください、なんとなれば、ああ主イエズスよ、私は「私の魂をあげて主を仰ぎ望んで」(詩編85.4)いるからであります。

 私はただいま敬虔にうやうやしく主を拝領いたしたいと思います。私が主をわが家にお迎えしたいのは、ザケオのように、主のおん祝福をいただき、アブラハムの子らの中に数えられるためであります。(ルカ19.6)

 私の魂は主のお聖体をしきりに望み、私の心は主と一致することをねがっております。