キリストに倣いて(4.2.6 神の大なる仁愛は、この秘跡において人に示されること)

 ああ私の魂よ、この涙の谷にいるおまえに、かくもとうとい賜物、かくもすぐれた慰めの遺されたことを、喜んでおまえの神に感謝せよ。

 なんとなれば、おまえはこの神秘の祭りを行ない、キリストのお体を拝領するたびに、おまえの贖いの業を行なうのであって、キリストのいっさいのおん功徳に参与かる者とされるからである。

 というのは、キリストのおん愛は決して滅ずることなく、贖罪のおん功徳は決して尽きることがないからである。

 だからおまえは常に自分の心を新たにして、その準備をし、入念に注意してこの救いの大奥義を思いめぐらすがよい。

 そしておまえがミサを行ない、あるいは拝領するたびに、あたかもキリストがちょうどその日に童貞女のご胎内にくだって人となられたように、また十字架にかかって人類を救うために苦しみ死なれたように、それを偉大な、新たな、喜ばしいことを思うべきである。