キリストに倣いて(4.10.4 聖体拝領はかるがるしく廃止してはならぬこと)

 長い間告白を躊躇したり、聖体拝領をのばしたりしたとて、なんの益があろう?

 なるべく速く心を清め、サッサと毒を吐き出し、急いでこの薬を用いよ、そうすれば長い間のばしておくよりも気持がよいだろう。

 もしあなたが今日これこれの理由で、しないならば、明日は恐らくさらに大きい妨げが起こるだろう、そして長く聖体拝領を妨げられて、いっそうそれに不適当になるだろう。

 できるだけはやく、いまの心配と怠りとをふり捨てよ、なんとなれば、長い間不安な気持を続け、久しく心配のうちに暮らし、そういう毎日の妨げのためにこのとうとい秘跡から遠ざかったところでなんの利益もないからである。

 実際長く聖体拝領をせずにいると、非常に害がある、というのは、そのため大なる冷淡におちいるのが常だからである。

 悲しいかな、冷淡、放縦でありながら、好んで告白をのばし、聖体拝領をもっとあとにしようとする人々があるが、これはそれによって自分というものにいっそう用心をもって臨む義務を逃れようとするものである。