キリストに倣いて(4.11.1 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

 弟子の声

 ああいとも甘美なる主イエズスよ、主の晩餐において、主とともに食する熱心な人の味わう楽しさはいかに大きいでしょう!そこでかれの前に出される食物は、そのお愛しする唯一のお方、その心の望みのかぎりを尽くして、なおその上にも熱く望むべき、主ご自身にほかならないのであります。

 私の心の愛情のありたけを注いで、主のみ前に涙を流し、敬虔なマリア・マグダレナのように、私の涙で主のみ足を洗うことができたら、私にもじつにうれしいことでしょう?

 けれどもそういう敬虔がどこにありましょう?そういう滝なす聖なる涙がどこにありましょう?

 たしかに主の聖なる天使がたのみ前では、私の全心が火と燃え、喜びのあまり泣くべきが当然であります。

 なんとなれば、異なった形の下にかくれておいでになりますが、主は秘跡にこもってほんとうに私の前においでになるからであります。