キリストに倣いて(4.4.4 敬虔に聖体を拝領する者には多くの恩恵が与えられること)

 ゆえに私は、たとい満々たるこの泉からくむことができず、十分に飲むことができないにしても、せめてはこの天来の管の孔に口を当て、それから少しのしずくなりとも受けて渇をいやすようにしようと思います、これは私がまったく乾き切ってしまわないためであります。

 またたといまだ智天使や熾天使のようにまったく天上的で、まったく燃え立っているというわけにはゆかないにしても、努めて信心に身を入れ、謙遜にこの生命を与える秘跡を受けて心の準備をし、聖なる火の小さい炎なりとも得ようと思います。

 ああ至誠なる救いぬし、慈しみ深いイエズスよ、なんでも私に足らないところがありましたら、主がおん恵みと慈しみとをもって、私のためにこれを補ってください、なんとなれば、主は「わたしのもとに来い、すべて労苦して重荷を負う者よ、わたしはあなたがたを休ませよう。」(マタイ11.28)と仰せになって、すべての人をみもとに召したもうたからであります。