キリストに倣いて(4.11.3 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

 これらの不思議を心に思い浮かべますと、どんな霊的慰めも、私はいやでたまらなくなります、なんとなれば私は、私の主をその栄光のうちに、明からさまにあおぎ見ぬ間は、この世で何を見聞きしても、すべてどうでもよいことばかりだからであります。

 ああ神よ、主はご存じでありますが、私を慰めることのできる物は一つもなく、またいかなる被造物も私を安心させることはできません、それのおできになるのはただ、私の神よ、主だけであって、私は主を永久に眺めたいと望むものであります。

 けれどもこれは、私がこの死すべき人生に在る間は、できることではありません。

 ですから私は大いに忍耐を養い、私のすべての願望において主に従うように努めなければなりません。

 というのは、ああ主よ、主とともにいま天国で喜び楽しんでいる主の諸聖人も、この世に生きている間は、主の光栄のあらわれるのを、信仰と大なる忍耐とをもって待ち望んでいたからであります。

 かれらが信じていたことを私も信じ、かれらが希望していたことを私も希望しています、それでかれらが行ったところへ私も、主の恩恵によって行くだろうと、私は確信しております。

 それまでは、主の諸聖人の模範に力づけられて、信仰をもって歩みましょう。

 その上私の慰めとして、また私の生活の指針として、主の聖書がありますが、これらのすべてにまさって、主の至聖なるおんからだを、特別の妙薬、かつ避難所といたしましょう。