キリストに倣いて(3.58.8 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしをせんさくせぬこと)

 もし人々が満足して、そのむなしい議論を慎しみさえすれば、かれら諸聖人も大いに---この上なく満足するのである。

 かれらは自分の功績を誇らない、なぜならかれらは善を何一つ自分に帰せず、ことごとくわたしに帰するからで、それはわたしがかぎりない愛からすべてをかれらに与えたのである。

 かれらは神に対する深い愛と、溢れる喜びとに満たされているので、その光栄になんの不足もなく、どんな幸福も欠けてはいないのである。

 聖人たちはみな、光栄が高ければ高いほど、ますます自分は謙虚になり、ますますわたしに近づき、ますますわたしに愛されるのである。

 それゆえ「かれらは自分の冠を神のみ前に投げ出しつつ、小羊のみ前にひれふし、世々にかぎりなく生きたもう者を礼拝した。」(黙示録4.10)と記してあるのである。