キリストに倣いて(3.58.9 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしをせんさくせぬこと)

 多くの人々は、神のみ国においてだれが一番偉いかを調べるか、自分がその最小の者の中にさえ加えられる価値があるかどうかは知らない。

 天国ではみな偉いのであるから、そこでたとい最小の者にでもなれば、それは大したことである。なんとなればみな神の子とよばれ、また実際そうであるからである。

 「いと小さき者は千となり、罪びとはたとい百歳まで生きるとしても、死ぬ」だろう(イザヤ書60.22、同上65.20)

 なんとなれば弟子たちが、「天国で偉大な者はだれ」(マタイ18.1)であるかを尋ねたとき、かれらが得た答えは、

 「あなたがたは心をいれかえて幼子のようにならなければ、天国にはいれぬだろう。だからすべてこの幼子のようにみずからへりくだる人は天国で偉大な者である。」(マタイ18.3-4)というのであったからである。