キリストに倣いて(4.11.4 キリストの聖体と聖書とは信者の霊魂にもっとも必要であること)

 なんとなれば、私はこの世で私に特別必要な物が二つあることを知っているからで、これがなかったとしたら、このみじめな人生はたえ切れないものになるでしょう。

 私がこの肉体の牢獄に閉じこめられている間は、自分に二つの物、すなわち食物と光とが必要であることを認めます。

 ですから主は、弱い私に、私の霊肉の滋養として主の聖体を賜わり、「私の足下を照らす光」(詩編118.105)として主のみ言葉をくださいました。

 この二つがなくては、私はよく生きることができないでしょう。なんとなれば神のみ言葉は私の魂の光であり、主の秘跡は生命のパンだからであります。

 これらはまた、教会の宝庫内にならべおかれた二つのテーブルともいうことができましょう。

 一つは聖なる祭壇のテーブルで、聖なるパン、すなわちキリストの尊いおんからだをのせます。

 他は神の律法のテーブルで、聖なるみ教えを納め、正しい信仰を教え、私たちを至誠所のある幕の中までも、安全に導き入れるのであります。

 ああ永遠の光の光なる主イエズスよ、主が主のしもべなる預言者、使徒、その他の教師たちによって、私たちにお与えくださった聖なるみ教えのテーブルに対して、主に感謝いたします。