キリストに倣いて(3.52.3 人は自分を、慰めを受けるに足らず罰に値する者と思うべきこと)

 私のように罪深く、恥じ多い者が、何を言うべきでしょう?私は次ぎの一言のほか何も言うことができません。「私は罪を犯しました、ああ主よ、私は罪を犯しました、私を哀れみ、私をおゆるしください、『どうぞ私が、死のかげにおおわれた、暗い地に行く前に、しばらく悲しみ嘆くことができるようにしてください』(ヨブ記10.20-21)」

 主が科あるあさましい罪びとに、主としてお求めになるのはなんでしょうか?それはただかれが心の底から痛悔して、その罪のために謙遜になることにほかなりません。

 真に痛悔し、心が謙遜になったときこそ、赦免を得る希望も生まれ、悩んだ良心もやわらぎ、失われた恩恵も回復され、人は来たるべきおん怒りから救われ、神は悔悟した霊魂と相会って、聖なる和睦の接吻をおかわしになるのであります。