キリストに倣いて(3.50.6 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

 愛するおん父よ、ごらん下さい、私はおん手のうちにあります、私は主の懲治の苔の下にひれふします。

 なにとぞ私の背を、首をお打ちください、そうすれば私のねじけた心をため直してみ意に従わせることができるでしょう。

 主がつねに好んでなさるように、私を主の敬虔で謙遜なお弟子にしてください、そうすれば私もいつでも主のお指図のままに歩むことができるでしょう。

 私は自分と自分のすべての物とを主にお任せして、主に矯正していただきます。懲罰は後の世で受けるよりもこの世で受けるほうがよいからであります。

 主は何事もご存じです、人の良心中のことも、何一つ主には知られぬことがありません。

 主は未来のことも、まだそれが起こらぬさきからご存じであります。また主には地上に起こることについて、だれからも教えや警告をお受けになる必要がありません。

 主は私の進歩向上の助けになることをご存じであり、罪の錆をこすり落とすために、患難がどれほど役に立つかということをご存じであります。

 私に対して主がよしとお思いになる通りにして下さい。それこそ私の望むところであります。そして私の罪に満ちた生涯は、主お独りだけがだれよりもよくかる明らかに知っておいでになりますが、そのために私を捨てないでください。