キリストに倣いて(3.46.5 悪口されたときは、神を信頼すべきこと)

 ああ主よ、私の神よ、強く、忍耐強く、正しい審判者よ、主は人間の弱さと悪さとをご存じですから、私の力、私のよりどころとなって下さい、私の良心だけでは私に不十分だからでございます。

 主は私の知らないことをご存じです、ですからどういう非難をこうむっても、私はへりくだって柔和にこれを忍ぶべきであります。

 けれども私がかようにしないときにh、ねがわくは、いつもおん哀れみをもって私を赦し、さらに多くを耐え忍ぶ恩恵を、ふたたび私に与えて下さいますように。

 なんとなれば、自ら正しいと想像して、麻痺した良心を弁護するよりも、むしろ主の大なるおん哀れみにすがって、お赦免をいただく方が、私にとって良いからであります。

 たとい良心にやましいところがないにしても、それだけで自分が正しいとは言われません、なぜかと言えば、主のおん哀れみがなければ、「神のみ前には生ける者のひとりも義とされぬ」(詩編14.2)からであります。