キリストに倣いて(3.50.1 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

 ああ主なる神よ、聖なるおん父よ、主がいまも永遠に賛美されますように!なんとなれば、起こったことは主のみ旨によるものであって、主のなさる所は善であるからであります。

 主のしもべに、自分、または他の何者をも喜びとせず、ただ主だけを喜びとさせてください。なんとなれば主お独りだけ真の楽しみであり、また私の望み、私の冠、私の喜び、私の誉れでおいでになるからであります。ああ主よ!

 主のしもべは、主からいただいた物のほかに何を持っているでしょうか?そしてそのいただいたのも、別に功績があったからではないのであります。

 万物ことごとく主のもので、主がお与えになった物、また主がお創造りになった物であります。

 私は「貧しく、幼いときからの労苦のうちにあり」(詩篇87.16) 私の魂は時として悲しみのあまり涙を流すこともあれば、また時として情欲に苦しめられて心の乱れることもあります。