キリストに倣いて(3.40.1 人は自分では一つの善をも有せず、何事をも誇り得ぬこと)

 「主よ、人はどういう者なので、これを記憶に留めたまい、人の子はどういう者なので、これを顧みたもうのでございますか。」(詩篇8.5)

 人になんの功績があって、主はこれに恩恵をお与えになるのでしょうか?

 主よ、たとい主が私をお捨てになっても、私は何を怨むことができましょうか?またたとい主が私のねがいとかなえてくださらずとも、私は何を当然の権利として申し立てることができましょうか?

 私がほんとうに間違いなく、考えかつ言い得ることは、次ぎの通りであります、

「主よ、私は何者でもありません、何事もできません、自分に何一つよいところがありません、かえってすべてに足らぬがちで、つねにむなしい物事を追い求めております。」と。

 それで、もし主からおん助けを受けず、内心に教えられるところがなかったならば、私はまったく生温い、放縦な者となってしまうでしょう。