キリストに倣いて(3.31.1 創造主を見出すためにいっさいの被造物を無視すること)

 主よ、私がだれにも、またいかなる他の被造物にも、妨げられることのない境地に達するべきものでありますなら、私にはもっともっと大なる恩恵が必要であります。

 なんとなれば何かが私を引き留めている間は、私は主に向かって自由に飛び行くことができないからであります。

 主に向かって自由に飛び行くことを望んだ人は申しました、「私に鳩のような翼を与える者はだれか。そうすれば私は飛び去って休もうものを。」(詩篇54.7)と。

 清い目(マタイ6.22)よりも、安らかなものが何かありましょうか。地上の物を少しも望まぬ人よりも、自由な者がだれかありましょうか。

 ですから人はあらゆる被造物の上に抜き出て、まったく自分を捨て霊魂の法悦に浸り、被造物の中には、万物の創造主なる主に似たものが一つとしてないことを悟らなければなりません。

 人はあらゆる被造物の絆を断ち切らないならば、自由に心を神のことに向けることができないのであります。

 それで、観想的な人が少ないわけは、はかない被造物をまったく離れ去ることのできる人が少ないためであります。