キリストに倣いて(3.34.1 神を愛する者は、万事にこえて万事において神を味わう)

 ごらん下さい、私の神、私のすべてよ!私はほかに何を欲しましょうか?これ以上幸福なものとして、何を望むことができましょうか?

 ああ快く甘美な言葉よ!しかしそれはただ永遠のみ言葉を愛し、この世をもこの世にある物をも愛せぬ人にとってだけ、そうであるのであります。

 「私の神、私のすべてよ!」この言葉の意味がわかっている人にとっては、こういうだけで十分でありまして、神を愛する者にとっては、これをしばしばくり返すことは喜びであります。

 なんとなれば、主がおいでになれば、すべて楽しく、主がおいでにならなければ、すべて厭わしいからであります。

 主は心に落ちつきと、深い平安と、楽しい喜びとをお与えになります。

 主は、私たちにいっさいをよしと思わせ、万事において主を賛め称えさせてくださいます。主がおいでにならなければ、何物も長く人の心を喜ばすことができません。これを楽しく快いものとするには、主の恩恵が必要であり、主の英知の薬味で味をつけていただかなければならないのであります。