キリストに倣いて(3.34.2 神を愛する者は、万事にこえて万事において神を味わう)

 主を楽しみとする人にとっては、なんの楽しくないことがありましょうか?また主を楽しみとせぬ人にとっては、なんの楽しいことがありましょうか?

 けれどもこの世の知者や肉の楽しみを求める者は、主の英知の前には光を失ってしまいます。なんとなれば前者にはむなしいことが多くあり、後者には滅亡があるだけだからであります。

 これに反して、この世を軽んじ、肉欲を抑えて、主に従う人は、これこそ真に賢い者と認められるのであります。というのは、こういう人はむなしいものから真理に移り、肉から霊に移ったからであります。

 かような人こそ神を楽しみとする人でありまして、かれらは被造物に何かよいところを見出すと、それをことごとく創造主賛美の材料とするのであります。

 とはいえ、創造主と被造物と、永遠と時間と、造られない光と造られた光と、その味わいには相違---それも非常に大きな相違があります。