キリストに倣いて(3.50.2 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

 私は平安の喜びにあこがれ、主におん慰めの光明をもって養われる主の子どもの平安をねがい求めております。

 もし主が平安を与え、聖い喜びを注いで下さるならば、主のしもべの霊魂は楽しい歌に満ち、熱心に主を賛美するでしょう。

 けれどももし主が、いつもしばしばなさるように、おしりぞきになるならば、かれは主のみ掟の道を走ることができず、かえってそのひざを折って胸を打たずにはいられないでしょう。

 なんとなればいまは、主のともしびがかれの頭上に輝き、かれが主の翼のかげに隠れておそいくる誘惑から守られた、昨日や一昨日のようではないからであります。