キリストに倣いて(3.50.3 人はさびしいとき、いかに自分を神のおん手にお委ねすべきか)

 ああつねに賛美すべき正義のおん父よ、主のしもべの試されるべき時は来ました。

 ああ愛すべきおん父よ、主のしもべがこの時に当たって、主のために多少の苦しみを忍ぶのは当然のことであります。

 ああつねに崇むべきおん父よ、主が永遠の昔から見ぬいておられた時が来ました。

 これは主のしもべがしばらくの間、外部では苦しめられながらも、内部ではつねに主とともに生きるためであります。

 かれはしばらくの間軽蔑され、侮辱され、人の目には落ちぶれ、患難辛苦にもまれるでしょう。しかしそれも新たな光の曙に主とともに復活して、天上の光栄に浴するためであります。

 ああ聖なるおん父よ、主はこのようにお定めになり、このようにお望みになりました。そして主のお命じになった通りになったのであります。