キリストに倣いて(3.48.6 永遠の日およびこの世の苦悩について)

 それですから、真理である王は、「あなたの宝のあるところに、心もまたある。」(マタイ6.21)と明らかに仰せになりました。

 で、私は、もし天を愛しているなら、好んで天上のことを考えるでしょう。

 もしこの世を愛しているなら、この世で栄えることを喜び、その不幸を悲しむでしょう。

 もし肉を愛しているなら、しばしば肉の思念に耽るでしょう。

 もし霊を愛しているなら、霊的のことを考えるのを楽しみとするでしょう。

 なんとなれば、私はなんでも自分の愛しているもののことを、好んで口にし耳にし、その像を心に抱いて家へ帰ってくるからであります。

 ああ主よ、しかし主のためにいっさいの被造物をなげうち、本性をしいたげ、霊の熱心をもって肉の欲を十字架に付ける人は幸いであります。そうすればその良心が潔められて、主に清い祈りをささげることができ、また内からも外からも地上いっさいの物事をしめ出して、天使の群れに入れられるに足るものとなり得るからであります。