キリストに倣いて(3.25.5 永続する心の平安ならびに真の進歩とはどういうことであるか)

 心を尽くして自分を神のみ旨にささげ、小事においても大事においても、この世においても永遠においても、自分の利益を求めないことをさすのである。

 また幸福に会っても不幸に会っても、すべてを同じ衡で量り、同じ顔色で変わらぬ感謝をささげることをさすのである。

 もしあなたが勇ましくどこまでも希望を持ち続け、内心の慰めが奪い去られても、さらに大きな苦しみを忍ぶ覚悟をすることができて、自分はこういう苦しみをこれほどまでに受けなければならぬような悪者ではない、と言わんばかりに自分を正しいとせず、むしろわたしの定めるいっさいのことにおいて、わたしを正しいとし、わたしの聖なることを賛美するならば、その時こそあなたは平安の真の正しい道を歩んでいるのであって、いつか『わたしの顔を喜んで見ること』(ヨブ記33.26)が出来るという、疑う余地のない希望を抱くだろう。

 そしてまったく自分を軽んずるようになったならば、その時こそこの世に島流しの身ながら受け得るかぎりの豊かな平安を享け楽しむことができるだろう。