コリントの信徒への手紙2、12-10

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

 

私は常に私の力の足りないことを懼(おそ)れ、神は常に私の力の足りすぎることを慮(おもんばか)られる。私は自分は強くないから弱いと思い、神は私が弱くないことを知っておられる。私は私の力を増そうと望み、神は私の力を殺(そ)ごうと望まれる。私の思うところは常に神の見るところとは異なる。私の焦慮する時に神は笑われる。私は己(おのれ)を知らずに常に自ら苦悩(なや)むものである。(内村鑑三、7-5)

 

今朝の夢の話。子供の白骨が2体見つかった。最初は周りの噂でバスケ部の先輩であると聞いた。その時は同情したが、数日後、私の二男がいないことに気付く。私の心はあわてふためいた。なぜ、数日も気づかなかったのか。なぜ、死んだのか、自殺か。もう一体は誰なのか。そこで目がさめる。隣の部屋では家族全員が寝ていた。神よ、感謝します。そしてこの信仰の薄い私をあわれみたまえ。(林、2013/7/5、別府)