イザヤ書2-4

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ちなおして鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。

戦争が止むのに二途がある。進んで敵意をはらすことであり、退いて自己(みずから)を正すことである。そして神は常にその第二途をお選びになる。けれども人は常に他人に帰して、自身は美名を帯びて死のうと願う。これが戦争のある理由である。名誉心であり、傲慢(ごうまん)心であり、流血を存在させるものはこれである。人類が自己(みずから)を省みることで敏で他を責めることに鈍である時に、戦争は全く廃止されるようになるのである。

 

日本は戦争で負けた。1945年のことである。それまでの学校教育では天皇が神のように崇め奉られ、国の為に死ぬことが誉れのように信じさせられていた。そして戦後、その考えは大きく変わり、日本国民は騙されたという思いを持っていた。特に日本の女性はそう感じていた。日本の男性は戦争の現場を見てきているので、何を起こしてきたのかを知っていた。しかし、日本の女性は騙されたという思いが強かったと思う。信じるということに抵抗を感じる。信仰というものがよくわからなくなった。敗戦後の塗炭の苦しみを通して、命についての教育は行ってきたが、信仰については自信を持てなかった母親が多かったのではないかと思う。

 中国・韓国は違う。日本軍に占領され、自国の言葉を変えられ、政治、文化を強制的に数十年に渡り押しつけられた。その不正を一番感じていたのは、女性達である。子孫に信仰の大切さを教え、平和を求めるとは何なのか、戦争とはどういうものなのかをしっかりと体験しているし、伝えることが出来ている。