年間第16主日のミサ内容

第1朗読:創世記18・1-10a

第2朗読:使徒パウロのコロサイの教会への手紙1・24-28

ルカによる福音書:ルカ10・38-42

  ある子供が友達の家に遊びに行きました。テーブルの上にあったスルメイカが美味しそうだと思いましたが、その家の主は海外で買ってきた高級チーズを、と無理やり薦めました。それはその子供の口に合うものではありませんでした。今日は「おもてなし」についての話。相手に喜ばれるものが良いもの。

 マルタ(姉)とマリア(妹)の家にてイエスがおもてなしを受ける。マルタはおいしい料理をと忙しく立ち回り、マリアはイエスの話を聞く。普通であればマルタが褒められるのであるが、イエスが褒めたのはマリア。それはイエスが本当に望んでいたことだからです。

 マルタは多くのことに悩みを持っていた。必要なことは1つ、それはマリアが選んだこと、イエス様の望み。我々は神様によって作られたもの。神様のことを思わなければ意味がない。一番大切なこととは、神様が大事である。ということ。イエスの言葉、イエス様のことを思うことに意味がある。(李神父様、7/21)

 

忙しく立ち回ることが悪いということではないと思う。話を聞くのも、もちろん大事。しかし、イエス様に「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(ルカ4-40)といいます。マルタは悩んでいたに違いない。マリアを妬んでいたかもしれない。喜んで給仕していたのではないかもしれない。そして必要だったのは、いろんな意味で、イエス様のことを第一にするということだったのだと思う。(林、別府)