ヘブライ人への手紙1・1-3

 ヘブライ人への手紙1・1-3

神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
 
人は未だかつて神を見たことはない。しかし、神のかたちはかつて世に顕われた。彼(そのかたちを帯びたもの)は神の栄えの光輝(かがやき)、その質の真像(かた)であった。そして彼の直弟子の多くは彼を目で見、ねんごろに観、手で触った。彼を見た者は実に彼を見たのである。彼は歴史的人物であった。それにより彼はその外貌においては肉なる人となんの異なるところはなかった。彼は憎まれて人に棄てられ、彼に見るべき艶色(みばえ)はなかった。私たちはもし肉体における彼を見たとしたら、
私たちは必ず彼を神として認めなかっただろう。彼は労働者であった、貧しかった、彼は極悪の罪人(つみびと)として十字架の刑に処せられたのである。しかも彼は神の子であった。神として人の崇拝を受けるべき者であった。人は彼によるのでなければ、何びとも神を見ることはできないのである。(内村鑑三、7/12)
 
神は愛であると信じています。そしてイエスキリストが世に現れなければ、そして復活しなければ、人類は、愛がどういうものなのかを理解できない。愛とは、多分ですが、途方もなく大きい存在なのだと思います。