ヨハネの手紙1・5-18

わたしたちは知っています。すべて神から生まれた者は罪を犯しません。神からお生まれになった方が、その人を守ってくださり、悪い者は手を触れることができません。

 

信者は神につながれてその生命(いのち)をことごとく彼に求めるのに対して、世はこぞって悪者にあって生活するのである。すなわちキリストとサタンとの間に介在して、信者は神に属(つ)き、世は悪魔に属(つ)くというのである。しかしながら事実はその通りである。世はその科学と文字と哲学と芸術とをもって、こぞって悪魔に属(つ)くのである。世の大体の方針は悪である。そのうちに多少の善がないではない。多少の善人がいないではない。しかしながら。概して世は悪魔のものである。キリスト教は決して人類多数の信授する教えではない。信者は常に少数である。そして多数は常に悪魔の従属である。自分は世の多数の賛成を得たといって悦ぶ信者(?)は、自分で何を言っているのかを知らないのである。(内村鑑三。7/27)

 

人口の9割以上がカトリック教徒の国があり、0.3%がカトリックの国もある。前者の9割以上の国では宗教を隠す必要はないのかもしれない。日本においては後者である。1549年にフランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えて、1587年には秀吉によるバテレン追放令、そして江戸時代においては、信者は大多数の人々に嫌われ、弾圧され、差別され、殺された。いろいろあったのだろう。宗教を隠す習性が、日本のカトリック信者にあるのも、わかるような気がする。

内村鑑三がブラジルに生まれていても、同じことを言っているのだろうか?