ローマの信徒への手紙8・19-21

被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。

 

信者の復活と共に「万物の復活」がある(使3・21)。すなわち人類と共に呪(のろ)われた地とその中にある万物とが元始(はじめ)の完全に帰ることをいう。キリストの救済(すくい)は人類をもってとどまらない。すべての被造物(つくられたもの)にまで及ぶのである。地を今日のように流血のちまた、荒廃の土にしたのは人類の罪である。その罪が除かれ、信者で代表される人類が原始の自由に還(かえ)る時に、地もまた人類と共に自由の栄光を頒(わか)つのであるという。ほかにこれにまさる栄光はあるであろうか。人は復活し、地は改造され、二者共に罪の結果である詛(のろ)いを逃れて完全な発達を遂げるという、そのことが預言者たちが預言した天国の建設である。(内村鑑三、7/26)

 

復活についてはよくわからない。ある50代の男性がいた。震災で3人の娘をなくし、妻をなくし、両親をなくして、家も流された。目の前が真っ暗な彼に、どのような言葉をかけたらいいのか、わからない。イエス様は見せてくれた。すごい生き方を、すごい死に方を、そして復活を、そして億万の彼に従う生きた人々を。イエスの復活は愛であり希望である。いつか、その彼も愛する家族に会える日が来る。きっと。