創世記1・3-5

神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

 

暗黒を持って始まり、光明をもって終わり、絶望をもって始まり、希望をもって終わる。神の行為にはすべてこの順序がある。希望を約して失望に終わらせるような栄光の冠を載かせて後に恥辱の死を遂げさせるような、平和と繁栄とを宣言して戦乱と貧困とをきたすようなことは神の決してなさらないところである。「歓(よろこび)は朝来る」Joy comes in the morning.戦闘(たたかい)の暗夜が去って後に平和の昼は来るのである。若年を貧苦のうちに過ごして老年を喜楽のうちに送る。夕(ゆうべ)をもって始まり朝をもって終わる。これは善人の生涯であってまた神の事業の順序である。夕日西山に没して、暗闇天地に臨む時に、私たちに新紀元は臨(きた)るのである。夜は長いだろう、その戦闘は激しいだろう、しかし歓喜は朝とともに来る。夕があり、朝があって、宇宙も私たちも歩一歩を進めたのである。(内村鑑三、7/15)

 

一日は夕べから始まり、朝を迎えるのか。。。日はまた昇るとは、希望のことを言っているのかもしれない。今のこの時は夜なのであろう。朝が来るまで、よく眠れるよう、誘惑に落ちない様、祈っている。