シモーヌ・ヴェーユの「神を待ちのぞむ」(春秋社)を読んで1

1.洗礼のためらい(p11-p21)の要約

シモーヌは教会に入りたくない。その理由として、神の意志の領域の説明、秘跡について、霊性の水準についての考えを説明してから、彼女が頂いている召命と神の意志が教会に入ることとは異なるから。彼女は唯物論に染まっているこの時代、神とキリストに身をささげながら、教会の外にとどまる男女があることを神は望まれる。というのが召命であり、神の意志。

「だれでも人々の前でわたくしのことを恥じるものは、わたしも父の前でその人のことを恥じるだろう」とは。教会に属さないことを意味するとは限らない。

シモーヌの本音:「わたしは本来の意味の教会への愛を少しも持っていない」。教会に入る可能性の問題をもう少しも考えまいというはっきりした決心。

シモーヌの考えること:「私のことを考えるのは、私の仕事ではない。私の仕事は神のことを考えることであり、私のことは神様が考えてくれる。」