ルカによる福音書15:1-32 李神父様の説教のメモ

http://seseragi-sc.jp/xe/221497

 

罪人とは、単に罪を犯した人という意味ではなく、恵みを必要とする人も含む。

イエスの周りにいる罪人、徴税人は犯罪人という意味ではありません。その頃は重い皮膚病にかかると、その人に罪があるから。。。と言われていた。病気になっている人も、その人に罪があるからと思われていた。また徴税人はお金を集めて国(ローマ)に送る人。人々からお金を徴収する徴税人は嫌われていた。徴税人は可哀そうな立場の人、疎外される人、なんとなく「キモ」と思われる人々であった。

イエス様の周りに集まる。迎えて一緒に食事をする。それは仲間であり兄弟であるということ。本当は避けるべき罪人?このことがファリサイ派、律法学者という優等生にとって、ショックな出来事であった。「あのような人々と食事を一緒にするなんて。。。」

2つのたとえ話(本当は3つある)。失われた羊の話。この話は誰に向けて話されたのだろうか?一人の罪人に対して?99人のファリサイ派の人々に対して?イエス様の対象は両方。一緒に⇒一人の罪人。99人に⇒差別しているけど、同じ人。受け入れるべきである。

自分は1匹の羊。かわいそうな私。あわれんでください。羊なので自分の力で戻れない。戻り方を知らない。

自分は99匹の中の1匹の羊。32歳の李神父様。教会組織の中にいる99人の1人。ぜいたく。悔い改める振りをしている。

1匹の羊を見つけて他の人を呼んで一緒に喜ぶ。探し求めることをイエス様は望んでいる。関心を持って受け入れましょう!