李建錫神父様の説教(2014/3/2)

1つめの例

 幼稚園においてですね、この時期になると植木鉢にチューリップの球根を撒きます。チューリップが入園式の時に花が咲くようにする。子供達が自分の名前のついたチューリップに水を与えていく。同じ植木鉢の中に6個植えました。同じように種を撒いて、毎日同じように水をあげているのに咲いてくるチューリップの花はそれぞれ違う。

2つめの例

 4つ子の兄弟。家で同じような環境、毎日同じご飯、同じように育てる。4人は一人一人性格がそれぞれ違う。何故でしょう。もちろん、4人に対して全く同じにするのは難しいですね。けれども、私達がここに注目したいのは、私達が全く同じことをしてもその結果はそれぞれ違うということ。なぜかというと、頑張るのは私達の責任ですが、その結果は神様の範囲ということですね。

 今日の福音ではありませんが、マルコ4章27節。「人が地に種を撒いて、夜昼寝起きするうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか本当は知らない。」私達は種を撒いて、水を一生懸命与える。だとして次の日は、1センチ伸びるのか?というとその通りにはいかない。私達がこの種に出来ることは、一生懸命に水をあげること。その後、花が咲くかどうかは神様次第です。

 プッポ神父様が言った言葉の中で、「キリスト者には、信仰を持っている人は、ストレスはない。ただ与えられた状況で出来る限りのことを尽くせばいい。結果は神様が与えてくれる。」もしベストを尽くしたのに、、と思うような結果のときは、神様に文句を言えば良い。どうか神様、自分の努力が、、もちろん自分は出来る限りのことをしてからのことです、私達の出来ることは、よく「神にゆだねる」ということがあります。何でも、神に任せる、何もしないで良いということではありません。先ほど言ったように、自分が出来る良いことを、努力したことを、神様に結果を任せる。いつも、祈りのときに神父様がいうことの一つは、皆、試験を一生懸命勉強しました。みんな勉強しても結果は同じではないですね。もちろん、皆1位になりたい。祈りながら勉強しているかもしれない。本当にその通りだったとしても。努力はしても神様は神様が思う一番良い結果を私達に与えてくださいます。

 今日の福音で神様にゆだねるということ、そのために必要なことは神様を信じるということ。神様に信頼すること。第一朗読にもありましたが、「女が自分の子供のことを忘れることがあっても、私はお前を忘れることはない。」必ず神様は私のことを大事にしてくれる。必ず私をいい方向に導いてくださる。信頼があって、私達はそれから頑張ることが出来る。

 チューリップの種を撒くときは、そのあとのことを信頼して撒きます。撒いたらしばらくするとチューリップになると信じます。だから私達は世話をする。神様はきっと、いい方向にしてくれるから私達も良いことをする。

 最後に福音の中で、「何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。そうすればそれらのものは皆、加えられて与えられる。」私達は本当にイエス様の教えどおりに自分の命を掛けて人を愛することができるでしょうか?右の頬を打たれたら左の頬も差し出す。いろんな教えがありますが、本当にその通り生きることが出来るだろうか?自分がわかりたいことだけではないだろうか?自分は損するだけではないだろうか?もちろん神父様も、やはり出来ない。。。そう思うときもあります。しかし私達は希望を持って、その教えに生きること。そこまでは私達に出来ること。その後の結果は神様がくださる。

 ただ一つ私達に希望を与えてくださること。それはフランシスコ教皇様の言葉、今までは神様は自分にイエス様の試練など難しいだろうとあきらめていたこと。でもやれば出来ると。フランシスコ教皇様が身をもって示してくださっている。私達もどうなるかわからない、けれども神の国を求めて出来る限りの努力はおしまない。その結果がどのようなものであっても、神様はきっといいものにしてくれると信じて、今日一日もおくっていきたいと思います。